だーまんのブログ

平成生まれ・東大卒の不動産屋。人生の先生は本と映画。面白かった本や映画、ライフハック術、不動産のこと、受験についてなど、日々思ったことを好き勝手に書いていきます。

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周りの人は、自分が思っている1000分の1くらいしか、自分のことを気にしていない。

 

 

人目を気にする。

 

先日、会社の会議で、人前で30秒ほど話す機会があった。

ただの一言コメント程度の発表ではあったが、妙にカッコつけたことを口走ってしまい、そのあとものすごく恥ずかしい思いがした。

そして、その日はそれをしばらく引きずっていた。

 

かっこつけたことを言って、あの人にどう思われるだろうとか、 ださかったなーとか。

そんなことを考えて、穴があったら入りたい気持ちになっていた。

 

しかし、色々考えているうちに、その悩みはすっと消えて行った。

 

さて、「人目を気にする」って、一体どういうことだろうか。

なぜ、人は人目を気にするのだろうか。

そして、人目を気にすることに対して、どうやって向き合っていけばいいのだろうか。

 

その日の些細な会議での発言を通して、そんなことを考えたので、共有してみる。

 

人目を気にする構造

 人目を気にする一番の原因は、ずばり、

「その人の目を生み出しているのも、他ならぬ自分だから」

である。

 

僕たちが気にする人の目とは、自分たちが勝手に想像した人の目。

周りの人がこう思っているであろう、という自分の想像が作っている人の目。

 

自分の想像している人の目である。

そして、その人の目が、「自分のことを〇〇って思っているのではないか」、という想像自体も、自分自身が勝手に作っているものなのだ。  

 

人の目を気にしなくなったワケ

 

当然、今でも人の目は気になる。

人と比べても、特に人の目を気にして生きてきたと思う。

学校の中では優等生の部類にいたし、真面目なやつだったので、それがアダとなって、変な行動は取れなかった。

優等生でいよう、真面目でいよう、という圧力を自分で勝手に生み出していて、それに苦しめられていた。

 

 

さて、最初の話に戻る。

その会議で僕が発言した内容について、2、3日経った今、そもそも覚えている人はいるだろうか?

自分と同じくらい、その発言について考え、悩んで、もっとああ言えばよかった、と思っている人はいるだろうか?

 

 

いるわけがない。

そんな暇人はいない。

 

 

もはや、自分でも何を言ったのか、あんまり覚えていない。笑

 

 

もっと踏み込んで考えてみる。

たとえその発言を僕がしたことによって、

周りから「あいつは生意気なことをいうやつだ」と思われていたとしよう。

 

だから、なんなんだろうか。

 

そう思った人が、何か噂するかもしれない。

あなたのことを、他で悪く思うかもしれない。

 

だったら、それをどうやって確かめる?

 

 

それを実際に人に話している現場を見ればそう思えるだろうが、そんな場面にはなかなか遭遇しない。

その人がどれくらいあなたの発言について考えているかなんて、その人に聞かないとわからない。

 

そう、究極的には、決して分かり得ないのだ。

 

ものすごく気にしているかもしれないし、全く気にしてないかもしれない。

わからない。

 

それが極端な発言だったら、また話は変わってくる。 

周りに嫌われるような発言で、それによって自分のことを嫌いになっているのが明白な発言なら、それはきっとそうだろう。

 

しかし、その場合はそれが「狙い」なのであって、そう思われているかどうか、なんて最初から気にしてはいない。

 

今ここで話題にしてるのは、

「その意図がなかったが、後から考えると相手に変に思われてしまったのではないか?」

という、ある種の被害妄想を生み出す発言のことだ。

 

 

 

 

 話を元に戻す。

 

わからないことについて、あれこれ悩むことほどナンセンスなことはない。

悩んだ先に答えはないのだから。

 

その会議で他の人がどんな発言をしたかなんては、思い出そうと思わなければ思い出せない。

自分の人生にとっての重要性は、ほとんどない。

 

 人の、他人への興味なんて、結局そんな程度なのだ。

 

 

人の目を気にすることほど、不毛なことはない

人は、自分が思っているほど、自分には関心がない。

恋人だったり、とても近しい人なら別だが、

かくいう自分だって、他人にはそんなに興味がないだろう。

 

そして、たとえ周りの人が何かを思っていたとして、

それが自分の人生に何か重大なことになるケースは、稀である。

 

わからないことについてあれこれ悩む時間があったら、自分がどうにかできることについて悩もう。

 

最後に一つ、名言を。

神よ、我らに与えたまえ。

変えることのできないものを受け入れる平静さを。

変えるべきものを変えるだけの勇気を。

そして、変えられることと変えられないことを見分ける知恵を。

ーーーラインホルド・ニーバー(アメリカの神学者)

 

人の目が気になった時には、この言葉を思い出すようにしよう。