だまん氏のブログ

元不動産屋→現・外資コンサル。人生の先生は本と映画。面白かった本や映画、仕事について、など日々思ったことを好き勝手に書いていきます。

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『サトラレ』自分の心の声が周りの人に伝わっていたら?「彼は、少し声の大きい、正直者なんです」

映画がとても好きだ。

学生時代は、大学にDVD借り放題の教室があり、

(おそらく本来の目的は研究用)

暇さえあればそこに籠って映画を観ていた。

 

映画好きになるきっかけとなったのは、こちらの本。

 

 

尊敬する中谷彰宏さんの本。

一番最初に手に取ったこの人の本である。

 

大学1年の夏。

高校の終わり際に彼女に振られ、失意の中地元の古い本屋さんでたまたま見つけた。

とても素敵なエッセイなので、それはまた別の機会で。 

 

 

 さて、今回取り上げる映画、『サトラレ TRBUTE to a SAD GENIUS 』について。

これは、

一人、思いっきり泣きたい夜に。 

 

今までの人生で、一番泣いた映画のうちの一つ。

 

※ここからネタバレになる可能性がありますので、まだ観ていない方はご注意ください。

※ちなみに、自身がつけた映画ノートを元にこの記事を書いており、記事を書くにあたって再度映画は見返してません。あくまで僕自身の映画解釈です。内容が本編と異なる可能性は十分あります。観たけどそんなシーンないぞ?ってこともあるかと思います。ご了承ください。

 

 

大体のあらすじは、こんな感じ。

(原作は漫画で、ドラマもあるそうですが、今回は上記の映画についてです。)

 

自分の心の中の声が周囲に伝わってしまう才能(?)を生まれ持った人種、「サトラレ」。

その「サトラレ」と、彼を取り巻く周りの人を描いた物語。

「サトラレ」は、国家的な研究対象になっており、常に観察人がその生活を監視している。

また、彼を取り巻く人たちも、本人が「サトラレ」であることを気づかぬよう、細心の注意を払いながら生きている。

 

「もし、自分の声が周りに聞こえてしまってたら?」

「自分の考えていることが、周りの人にわかってしまっているのでは?」

誰でも、一度はそんなことを考えたことがあるはず。

 

有り得ないはずのそんなことが、もしも実際にあったら?という物語。

 

主人公だけが自身の特殊性を理解していないという設定は、こちらの映画にも似ている。

 

 

こちらは、主人公が生まれてから24時間ずっと、人生をテレビ中継されており、

そもそもの人生そのものが、テレビ局によって作り上げられたものであった主人公の話。

結果的に様々な異変からその事実を見抜いた主人公が、どう生きていくのか?という物語。 

 

 

さて、『サトラレ』について。

主人公は、医者を目指す学生。

しかし、自分の心の声が漏れてしまう宿命にある彼を、社会と関わる場に置いておきたくない彼の周りの人たちは、彼を薬学研究の道へ進むよう働きかける。

 

一度はその方向に進むことになった彼だったが、

彼は自身がお医者さんになることに対して、並々ならぬ情熱を持っていた。

その情熱に打たれた周りの人たちは、最初は猛反対していたのに、

彼の情熱を見て、ダメ元でその道へ進むよう手助けをしてくれる。

最初は反対していた人たちが、今度は彼を応援する側に回っている。

 

この映画では、このような場面が数々見受けられる。

むしろ、この対比を軸に物語が進んでいるように感じる。

 

まっすぐ生きる主人公と、

その主人公を見て、自身の生き方を見つめ直す周囲の人々。

むしろ、主役は「サトラレ」の主人公のほうではなくて、

彼の素直で誠実な生き方を見て、自分の生き方を見つめ直す周囲の人々と、

映画を見ている自分たち、なのかもしれない。

 

 やっぱり、病院でも最初は彼のことを疎ましく思う人ばかり。

自分の業務をしながら、

「サトラレ」が、自分が「サトラレ」であることを悟らないように配慮しなくてはいけない。

面倒が一つ増えたわけだ。

 

 しかし、ここでも彼はまっすぐに、誠実に、一生懸命と努力をし、

少しずつ、医者としても成長をしていく。

 

そして、ラストシーン。

主人公は、おばあちゃんの(これが主人公のおばあちゃんだったのかどうかは定かではない。だけど、確かにおばあちゃんだった)担当医として、手術を任されることになる。

 

結果的に、手術は失敗。

おばあちゃんの病気を取り除くことはできなかった。

寿命いくばくかのおばあちゃんに対して、手術を終えた主人公は、

「無事うまくいったよ。」と、笑って嘘を伝える。

 

そのまま屋上に走っていき、

屋上に着くや否か、せき止めていた涙が一気に溢れ出す。

「ばあちゃん、ごめん・・・ごめん・・・ごめん・・・・」

彼のその声が、病院中に響きわたる。

おばあちゃんを救えなかった自身の不甲斐なさと、申し訳なさと、おばあちゃんが亡くなってしまう悲しさと。

いろんな感情が入り混じった、悲しい涙。

 

今まで彼を疎ましく思っていた職員の人たちや、

患者さんたちにその声が響く。

 

「サトラレ」の調査員が、手術を受けるおばあちゃんに、

「嘘をつき続けるのは苦しくないんですか?」と質問するシーンがある。

それに対して、おばあちゃんはこういう。

「嘘なんてついてないですよ。彼は、少し声が大きい、正直者なんです。」

 

 

このあと、病院内ではたくさんの変化が起こる。

患者さんたちからは、「ぜひ彼を自分の担当医としてくれ」という声が殺到し、

今まで彼との接触を面倒くさがっていた同僚たちは、彼を好意的に見るようになり。

 

もちろん、彼自身も大きく成長した。

しかし、それ以上に、

主人公と触れ合って、周りが変わっていった。

 

やっぱり、

素直で、誠実で、前向きな人が勝つ。

正義が勝つ、じゃないけど、

そんなことを改めて考えさせてくれる映画でした。