だーまんのブログ

平成生まれ・東大卒の元不動産屋→現・外資コンサル。人生の先生は本と映画。面白かった本や映画、仕事について、など日々思ったことを好き勝手に書いていきます。

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『墓場、女子高生』(別冊・「根元宗子」第7号)/友人の死と向き合う女子高生たちの物語

先日、友人の誘いで、下北沢スズナリで舞台を観てきました。

 

別冊・「根元宗子」第7号『墓場、女子高生』という作品です。

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gekkannemoto.wixsite.com

  

この劇団の主催者でもあり、今回の演出を担当されている根元宗子(ねもとしゅうこ)さん。

同年代ということもあり、かなり刺激を受けました。

ja.wikipedia.org

 

劇団を19歳で旗揚げ、結成すでに10周年。

舞台の世界は疎いのですが、これってけっこう凄いことではないでしょうか。

 

夜の回に行きましたが、ほぼ満席。

要所要所で笑いあり、ミュージカル調の歌も普通に聞き入ってしまい、演技も自然体。

女子高生の日常にすっぽり迷い込んだような2時間でした。

本当にお腹の底から笑ったし、そしてたくさん泣きました。

 

この作品を観て感じたことを、時間が経たないうちに書きとめます。

 

ネタバレはバンバンしますので、観劇前の方はご了承ください。

ただし、「良い作品」はたとえネタバレしたとしても、その作品を観る価値を一ミリたりとも毀損しないと思っております。

そして、間違いなく本作はその類の「良い作品」に該当しますので、

本記事を読んだ上でも、ぜひ観に行って欲しいと思います。

 

加えて、セリフは僕の記憶を頼りに記載しているため、実際のセリフとは異なる可能性が高いこと、ご了承ください。

 

『墓場、女子高生』という物語

舞台は、高校の裏にある墓地。

かつてその高校に通っていた女子高生、日野が埋まっているお墓。

幽霊となった日野は、毎日学校をサボってお墓にやってくる友人たちの様子を、幽霊仲間たちと微笑ましく見ています。

 

合唱部の一員だった日野は、ある日突然自殺しました。

理由は、不明。

その事実を未だ受け入れられない生徒たちは、彼女を生き返らせるため、生き返りの儀式を行います。

 

すると、死んだはずの日野が生き返ります。

友人たちは、生き返った日野に、自殺した理由を問いただします。

しかし、彼女は答えません。

代わりに、こんなゲームを提案します。

私が死んだ理由を当てるゲーム!

 

友人たちからの答えを聞いた日野は、翌日、再び命を絶つのでした。

 

日野の死と、不条理に向き合うということ

死を選んだ1人の女子高生と、それを自分の中で消化しようともがく友人たちの物語。

 

合唱部の部長だった日野が、なぜ突然命を絶ったのか。

その理由は、最初から最後まで明示されません。

 

日野が、みんなの努力(?)の甲斐あって生き返ってきても、彼女はその理由を語りません。

その代わりに、このようなゲームを提案します。

なぜ私が死んだのか、考えて!

そんなこと急に言われたって。。

 

彼女たちは、それぞれで理由を考えます。

日野の突然の死を体験しているだけあって、

少しでも明るく、前向きになれる理由を、冗談でも考えます。

日野は、それに対してどれが正解とは言いません。

(ちなみに、個人的に一番悲しかったのは、「92歳まで大往生して死んだ!」というセリフ)

 

日野も、この舞台も、「日野の死の真相」は示してくれません。

だから、各々が、自分を納得させられる理由を考えるしかありません。

それは、観ている僕らも同じです。

 

世の中は、答えのないことだらけです。

不条理なことだらけです。

女子高生である彼女たちも、それは薄々と気づいているはずです。

 

そんな何かにぶち当たった時も、ずっと立ち止まっているわけにはいきません。

前に進むため、自分で、自分が納得できる答えを無理矢理にでも見つけ出すしかないのです。

「答えは何?」と聞いたって、誰も教えてくれません。

 

日野の死は、絶望だらけの世の中を生きていくことになる友人たちに、

そして舞台を観ている我々に、そんな生きる指針を投げかけているように感じました。

  

自分のために生きるということ

1つ、とても印象的なシーンがありました。

日野の生き返りの呪文を唱える時に、ある女の子が言う言葉です。

自分のために、自分を納得させるために、生き返りの呪文を手伝う

 

彼女が生き返りの儀式を手伝うのは、決して日野のためではありません。

「日野のために何かをした」という、自身の正当化のためです。

 

日野が生き返ったとき、友人たちは、彼女が死んだのは自分のせいだと、口々に謝罪の言葉を述べます。

それに対して、日野はこう言い切ります。

みんなが私の死の原因になるほど、みんなとは仲良くなかったから!

 

シビアで、一見突き放すようだけど、僕にとってはとても愛のある言葉に聞こえました。

というのは、僕自身、かつて同じような体験をしていたからです。

 

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実は、僕も高校時代に、同級生の自殺を体験しています。

 

自殺した彼女のことは、中学から知ってました。

高校に入ってからは疎遠になり、あまり話さなくなりましたが、それでも顔を見れば挨拶するくらいの仲でした。

 

そんなある日、突然彼女は命を絶ちました。

中学から知っている彼女が、自ら命を絶った本当の理由を、僕は知りません。

  

その時に、彼女たちと同じように、自分にも責任があったのではないか、何とか救えたのではないか、と悩んだことがあります。

その話を親にした時に、こう言われました。

自分が彼女の命を救えたかもしれないなんて、傲慢な考え方だ。

誰かの命を救えるほど、あなたに影響力はない。

  

この言葉で、僕はものすごく救われました。

 

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舞台の中でも、日野の2回目の自殺の後、友人たちがお墓に来る頻度は徐々に減っていきます。

それはきっと、「自分には責任はない」ということを、日野の口からハッキリと聞けたからではないでしょうか。

 

みんな、自分の人生を一生懸命生きることで、もう精一杯。

誰かに影響を与えられるほど、そんな偉大な人間ではないのです。

そんなのは、結局思い上がり。

誰かにプラスの影響を与えられたらいいなとは確かに思いますが、それは結局相手が決めること。

だから、みんな、自分のために生きていいんじゃないの。

 

みんなが私の死の原因になるほど、みんなとは仲良くなかったから!

 

残酷ですが、綺麗事のないとてもストレートな言葉です。

あの頃の自分を救ってくれる言葉だからか、舞台を観た後もずっと心の中に残ってました。

 

人は、どこまでいっても他人。

そんなことを高校生にして悟ってしまったからこそ、日野は絶望して、自ら命を絶つことを選んだのかな、なんて考えたりしてました。

 

当たり前を、当たり前に

 舞台の最後、1人の女の子が、友人との別れ際にこんなことを言います。

何かが起こった時に、後悔しないように、ちゃんと言っておくね。

さようなら!

 

当たり前の毎日は、決して当たり前でなくて。

そんなとても当たり前のことを、改めて実感させてくれる作品でした。

 

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本作品がとても心に刺さったので、ぜひ次回作以降も観ていきたい、これからも応援していきたいと強く強く思いました。

舞台って、やっぱり面白いですね。

 

勝手に宣伝しておくと、次回作『今、出来る、精一杯。』は、2019年12月13日〜19日で上演するようなので、良かったらぜひ!

www.village-inc.jp