だーまんのブログ

平成生まれ・東大卒の不動産屋。人生の先生は本と映画。面白かった本や映画、ライフハック術、不動産のこと、受験についてなど、日々思ったことを好き勝手に書いていきます。

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【解説レビュー】映画『エレファントマン』畸形男の半生を描いた感動作!

アカデミー賞8部門にノミネートされた、映画『エレファント・マン』を観ました!

 


エレファントマン The Elephant Man 1980

 

畸形の青年「ジョゼフ・メリック」

19世紀のイギリスに実在した、彼の半生を描いた作品。

奇才デヴィッド・リンチが監督し、アカデミー賞8部門にノミネートされた名作です。

 

それでは、映画『エレファント・マン』をご紹介します。

 

『エレファント・マン』の簡単なあらすじ

舞台は19世紀のロンドン。

ジョゼフ・メリック(ジョン・ハート)は、その醜い外見から「エレファント・マン」と呼ばれ、見世物小屋で働いていました。

 

彼の外見に興味を持った外科医フレデリック・トリーブス(アンソニー・ホプキンス)は、彼を研究するためにと、興行師バイツ(フレディ・ジョーンズ)から彼を引き取ります。

 

トリーブスは、メリックを病院の屋根裏部屋で匿い、彼の経過を観察することに。

 

当初、知能的にも遅れており、まともに会話すらできないと思われていたメリック。

しかし、実際は読書家であり、優しい心の持ち主であったことがわかっていきます。

彼の存在を煙たがっていた人々も、少しずつ彼に心を開くように。

それに伴い、メリック自身も、ずっと閉ざしていた心を開いていきます。

 

そんなメリックの存在に興味を持った上流階級の人々は、

こぞって彼に会いにきます。

 

見世物小屋での冷遇された生活から一転、

幸せで平穏な日々を送れるようになったメリック。

 

しかし、それを良く思わない興行師バイツは、

こっそりメリックを連れ出し、再び見世物として彼を立たせるのでした。

 

映画の解説と批評・感想 (※ネタバレあり)

実話に基づいた物語である

Wikipediaに、主人公ジョゼフ・メリックの写真が載っています。

 

映画中の姿は脚色されたものだと思っていましたが・・

写真を見るかぎり、かなり忠実に再現していると感じます。

 

彼の半生についても、事実を忠実に再現しています。

以下、簡単に類似点と相違点を列挙します。

 

【類似点】

・見世物として、興行を回っていたこと

・医師と出会い、病院で収容されていたこと

・彼の存在を知った上流社会の人々が、こぞって彼に会いに来たこと

 

【相違点】

・見世物には、自ら志願してなったこと

・見世物商売が立ち行かなくなったため、メリックはオーナーに捨てられたこと

 

映画のクライマックスである、見世物小屋から脱走してトリーブスの下へ戻る描写。

これは、彼が興行師に捨てられて、1人で医師の下へ戻った出来事を元にしています。

エレファント・マンと、彼の周囲の変化の物語

この映画は、エレファント・マンと、彼を取り巻く人々の変化の物語です。

 

最初、周りの人は興味本位の好奇心、もしくは嫌悪感しか持っていません。

医師トリーブスも、最初はあくまでも医学的な観点から、彼に興味を示しただけだったのです。

院長は彼の受け入れを反対しますし、

寮母は、「まるで壁と話しているようだ」とバカにします。

彼の面倒を見る看護婦達も、彼の姿を見ただけで恐怖で震えます。

 

しかし、メリックの素直で優しい人間性に触れるうちに、

少しずつ彼らは変わっていきます。

外見だけで判断していたことを反省し、

1人の人として接するようになります。

 

 

変化するのは、周りの人だけではありません。

 

メリックは、これまでの境遇のせいで、自分の意思を持てません。

力のない彼は、流されるままに生きています。

バイツの下で劣悪な環境で働かされても、まともに反抗すらしません。

バイツの下を脱出するのも、結局は周りの人に助けてもらっているだけなのです。

 

脱出した彼は、流されるまま、トリーブスの下へ向かいます。

 

しかし、畸形のメリックは、どこに行っても人々に好奇の目で見られます。

しまいには、一般人に追いかけ回される始末。

 

身体の不自由な彼は、一生懸命逃げますが、とうとう行き止まりに。

もう逃げる場所はありません。

万策尽きた彼は、初めて自分の意思を表します。

「俺はエレファントマンじゃない!」

「動物でもない!」

「俺は人間だ!」 

ここが、この映画のクライマックス。

周りの人の優しさのおかげで、これまで生きてこれたメリック。

しかし、それに甘えているだけではいけません。

自分の意志がなければ、いつまでも人の助けなしには生きていけません。

 

逃げ場を失い、追い込まれてはじめて、

彼は意思を持つことができたのです。

 

彼の心からの叫びは、涙を誘います。

デヴィッド・リンチが本当に撮りたかったものとは?

この映画は、アカデミー賞8部門にノミネートされたことからも分かるように、

興行的にかなり成功した作品です。

 

エレファントマンの半生は、多くの人の感動を呼んだのでしょう。

 

しかし、この感動的な作品は、リンチが本当に撮りたかったものなのでしょうか?

映画評論家・町山智浩さんの書籍を読むと、どうやらそうではないことが分かります。

 

 

デヴィッド・リンチは、決してヒューマニズム的な映画を撮りたかったわけではないようです。

 

町山さんの言葉を借りると、

リンチはメリックの畸形と、舞台となるヴィクトリア朝ロンドンの産業革命の風景(およびノイズ)に魅了されただけだった

そうです。

 

この作品のヒットを受けて、彼は『砂の惑星』という超大作の監督を任せれます。 

しかし、原作小説に興味を持てなかったリンチは、物語の主題よりも、

異形のディテールのみこだわった

そうで、興行的には大失敗。

『砂の惑星』でリンチの正体は露呈してしまった。 

と町山さんは言います。

 

前作『イレイザーヘッド』から分かるように、

彼は、異形やグロテスクな描写を好む、少し趣向の変わった監督です。

そんな彼の監督性を知っていたため、『エレファント・マン』を観た時、

「これは本当に同じ監督の作品なのか?」

という素直な疑問が浮かびました。

(2本立てで観ていただけに、なおのこと・・)

 

前作『イレイザーヘッド』を、

「やりたいことを全てやれた最高傑作」と称している彼にとって、

『エレファント・マン』は、ある意味撮らされた作品だったようです。

 

本当にやりたい訳ではない作品を撮って、アカデミー賞8部門にノミネートされる点で、

デヴィッド・リンチは名監督なのでしょうが、なんとも皮肉な話ですね。 

 

『エレファント・マン』に一言! 

ジョゼフ・メリックは、ただただ普通の人間に憧れ続けました。

 

映画の最後、彼はずっと作っていた大聖堂をようやく完成させます。

その大聖堂は、窓から見えるものを模倣していたのですが、

彼の窓から見える景色では、大聖堂の全体像が見えません。

そのため、見えない部分は彼の想像で作ります。

 

それにも関わらず、完成作は実物以上に精巧で、美しい作りになりました。

完成した作品に、彼は大事そうに自身の名前をサインします。

 

今までずっと否定してきた自分自身の存在を、

これまで以上にはっきりと、自分の作品に刻んでいました。

 

 

その後、彼は布団に入ります。

畸形の彼は、横になることが難しく、いつも座りながら眠りに入ります。

 

彼の部屋には、布団に入って、気持ち良さそうに眠っている子供の絵画があります。

その絵画をうらやましそうに見た彼は、

座る体勢をキープするための枕をどけて、初めて横になって布団に入ります。

普通の人が当たり前にやっている事を、ようやくやれた瞬間です。

 

静かに眠る彼の表情は、とても満足そう。

実際のジョゼフ・メリックが、仰向けになる事を試みた際の失敗で亡くなったと言われているように、

映画の主人公も、おそらくここで息を引き取るのでしょう・・

 

なんとも穏やかで、慎ましいエンディングでした。

 

メリックの優しさは、周りの人を変えました。

そして、周りの人の優しさに触れて、エレファント・マンも生まれ変わりました。

彼は、自分の意思を持ち、自分の存在を認められるようになりました。

 

様々な批評がありますが、個人的にはかなり感動的な作品でした。

 

「あなたにとっての当たり前は、誰かにとっての特別かもしれない。」

「あなたの生きている今日は、昨日死んだ誰かが、死ぬほど生きたいと願った明日だ。」

 

どこかで聞いた、そんな言葉を思い出しました。

 

ぜひ、『エレファント・マン』を観てみてください!

 

併せて読みたい!

デヴィッド・リンチ監督の最高傑作とも言われる、

『イレイザーヘッド』について書きました。