だまん氏のブログ

元不動産屋→現・外資コンサル。人生の先生は本と映画。面白かった本や映画、仕事について、など日々思ったことを好き勝手に書いていきます。

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【レビュー解説】映画『セブン』七つの大罪をモチーフにした連続殺人の行方

キリスト教の「七つの大罪」に沿って行われる連続殺人。

猟奇的殺人犯と、犯人を追う刑事の戦いを描いた作品『セブン』を観ました!

 

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ラストが衝撃な作品と聞いて観ましたが、

映画全編を通して、驚きっぱなしの作品でした。

 

「七つの大罪に沿って行われる殺人事件」というミステリアスさ。

そして、犯人を追う刑事コンビ、ブラッド・ピットとモーガン・フリーマンの好演が光る作品です。

 

それでは、映画『セブン』をご紹介します!

 

なお、本編執筆にあたり、映画評論家町山智浩さんの解説を参考にしております。

町山智浩の映画塾! 「セブン」<予習編> 【WOWOW】#55 - YouTube

町山智浩の映画塾! 「セブン」<復習編> 【WOWOW】#55 - YouTube

 

こちらもかなり面白いので、よかったら観てみてください! 

 

映画『セブン』の解説とあらすじ

解説

本作品の監督デヴィッド・フィンチャー。

彼は、前作『エイリアン3』でデビューしますが、興行的に大失敗。

失望した彼は、1年半脚本を読まなかったそうです

 

失意のフィンチャーに、改めてメガホンを取ることを決意させたのが『セブン』の脚本。

犯人探しの物語ながら、映画の途中で「犯人が自首する」というプロットに衝撃を受けて、監督することを決めたそうです。

 

その脚本を書いたのが、アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー。

彼は、ニューヨークのタワーレコードで働いている時に、この脚本を書いています。

そこはアダルトコーナーが充実していたため、お店に来る客層がひどかったそうです。

 

彼は、退廃した汚い街への嫌悪感を、この脚本にぶつけます。

 

それは、映画の中で、サマセット刑事と犯人ジョン・ドゥが持つ社会への嫌悪感に表れています。

 

興行的には大成功し、その年で7番目のヒットとなります。

フィンチャー監督は、この後『ファイト・クラブ』でもヒットを飛ばし、一躍有名監督の仲間入り。

まさに、彼の再起をかけた作品だったのです。 

あらすじ

映画は、月曜日から始まる7日間の物語。

舞台は、犯罪が日常の一部になっている、退廃したとある都市。

 

ベテラン刑事のサマセット(モーガン・フリーマン)は、定年まであと7日。

この街に嫌気が差している彼は、定年後は落ち着いた郊外に暮らすことを考えています。

 

そんな彼の元に、若手刑事のミルズ(ブラッド・ピット)が着任してきます。

まだ若く、理想を追い求めるミルズは、人生を達観しているサマセットと馬が合いません。

 

ミルズの着任早々、2人は殺人現場に呼ばれます。

現場に行くと、そこには太った男の死体が。

椅子に座り、手足を拘束された男は、食べ過ぎによる内臓破裂によって死んでいます。

被害者の頭部にあった銃の痕から、何者かに無理やり食べさせられてた模様。

 

その部屋の冷蔵庫の裏には、「GLUTTONY(暴食)」と書かれた文字がありました。

 

これは普通の事件ではないと予想したサマセット刑事。

彼の予想通り、翌日に第二の事件が起きます。

 

次の被害者は、高給取りの弁護士。

彼の肉体からは、1ポンドちょうどの肉片が切り取られており、壁には「 GREED(強欲)」という文字が。

 

2つの事件から、キリスト教の七つの大罪に沿って事件を起こしていると察したサマセット。

もしそうだとすると、犯人はあと5つの事件を起こすつもりである。

 

サマセットの予想は、不運にも的中。

その通りに、第3、第4の事件が連続して起こっていき・・・

 

批評と感想(ネタバレ有)

ここから、作品についての批評と感想を書いていきます。

ミステリー作品なので、どうしてもネタバレは含んでしまいますので、その点ご容赦ください!

冒頭のオープニングの衝撃

この大きな見所の1つは、冒頭のオープニング。

 

映画を通して、「銀残し(銀残し - Wikipedia)」という手法が使われており、

それが、映画全体のダークな雰囲気を醸し出しています。

 

特に、このオープニングでそれが顕著に見えます。

 

オープニングが格好良かったために、

それまで長く使われていなかったこの手法が、再び脚光を浴びることになったそうです。

 

このオープニングでは、犯人が殺人計画を手帳に書いたり、殺人のモチーフのために本を読んだり、被害者の写真を収集したり。

淡々と、犯罪を計画していく様が描かれています。

 

事百聞は一見に如かず。こちらの動画、観てみてください! 

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「七つの大罪」に沿って行われる殺人

この物語では、七つの大罪に沿って殺人事件が起こっていきます。

七つの大罪とは?

キリスト教の中で、もっとも重いとされている七つの罪のこと。

 

罪が軽い順番に、

・暴食(Gluttony)

・色欲(Lust)

・強欲(Greed)

・憤怒(Wrath)

・怠惰(Sloth)

・傲慢(Pride)

・嫉妬(Envy)

 となっています。

  

また、映画の中では中世西洋の物語も引用されています。

 

・『失楽園』ミルトン

 ➡︎アダムとイブが知恵の実を食べ、楽園を追放される物語

 

・『神曲』ダンテ

・『カンタベリー物語』チョーサー

 ➡︎ともに、七つの大罪について書かれた物語が入っている 

 

 これらを映画に当てはめてると、

・犯人に殺される人々:七つの大罪のいずれかを犯した罪人

・犯人ジョン・ドゥ:罪を犯した罪人を裁いていく神

・ミルズと妻トレイシー:無知なアダムとイブ

 ということになります。

 

ただの猟奇的殺人事件が、中世ヨーロッパの物語を用いることによって、

違った意味を持つようになります。

 

ネタバレになってしまいますが、無知だったミルズ=アダム。

彼は、頭が弱く、単純であることがうまく演出されています。

具体的には、

サマセットがヒントとしてくれた『神曲』を読めなかったり、

理想を追い求める若さがあったり。

 

そして、映画の最後。

無知なミルズは、犯人ジョン・ドゥによって、

「悪魔のリンゴを食べるか否か」の瀬戸際に立たされるのです。

 

 

映画の途中、自首してきた犯人は言います。

「決して、無実の人を殺しているわけではない。

「彼らは全員、大罪を犯している」と。

 

退廃した社会と、それに抗うこともなく生きている罪人への怒り。 

犯人は、自分が神になって、社会を裁いていたのです。 

 

その根底には、脚本家自身が持っていた、社会に対する怒りが込められているのでしょう。

ミルズとサマセット:2人の葛藤と変化

ミルズとサマセット。

水と油の、相容れない主人公2人の変化と成長も、この物語の軸です。

 

あと7日にて定年のサマセット。

穏やかな最期をと思っていた彼ですが、不幸にもこんな連続殺人の担当に。

しかも、相方は若くて、やる気に満ち溢れている、ちょっとアホな青年。

映画の最初から、サマセットのうんざりが伝わってきます。

 

サマセットは、日常的に犯罪が横行する、退廃した街にも厭気がさしています。

定年後は街を離れ、静かで落ち着いた場所で生活しようと考えています。

 

途中、タクシーに乗った彼は運転手にいいます。

ここじゃないどこか遠くへ行ってくれ。

 

ミルズに対して面倒臭そうな態度をとるサマセットですが、

その一方で、彼はこっそり事件の下調べをしたりします。

 

事件が七つの大罪をモチーフにしていると気づいたサマセット。

彼は、事件を引き受けないといいながらも、1人で図書館へ行き関連書物を読み漁ります。

そして、ミルズにヒントを与えます。

 

社会に嫌悪感を感じ、諦めの気持ちを持ちながらも、

心のどこかでは、事件を解決し、街の腐敗に終止符を打ちたいと考えているのです。

 

しかし、定年も近く、自分の無力さを知っているため、その気持ちに蓋をしているように見えます。

 

そんな彼を、変えるきっかけが2つあります。

 

1つは、ミルズの奥さんから聞いた妊娠報告。

 

最近引っ越してきたため、この街に知り合いがいない彼女は、サマセットに相談をします。

子供を産みたいが、この危険な街で生きていけるか不安な彼女。

負担をかけたくないため、まだミルズに妊娠の事実を伝えられていません。

 

そんな彼女に、サマセットはいいます。

もし産まない決断をするなら、彼(ミルズ)には妊娠のことは黙っておくこと。

もし産むのであれば、精一杯甘やかしてあげなさい。

 

それを聞いて、涙を堪えられないトレイシー。

サマセットの諦めの目に、少しだけ変化が見られます。

 

そして、もう1つは若手刑事ミルズとの些細な会話。

2人がバーで飲んでいる時、こんな会話が展開されます。

ちょっと長いですが、かなりいいセリフだったので、そのまま引用します。

 

ミルズ(以下「ミ」)「あんたはそうやってブツクサばかり言って、甘くないと教えてくれるのは嬉しいが・・・」

サマセット(以下「サ」)「英雄になりたいのか?誰も英雄など求めていないぞ。みんな平凡に生きたいだけさ」

 

ミ「あんたこそ素直じゃない。なんでだ?」

サ「俺にも色々あったんだ。無関心が美徳である世の中にはもううんざりだ」

ミ「あんたも同じだろ」

サ「俺は違うとは言ってない。俺だってわかる。無関心が1番の解決だ。人生に立ち向かうより、麻薬に溺れたほうが楽だ。稼ぐより、盗むほうが楽だ。子供を育てるより、殴るほうが楽だ。愛は努力が必要なんだ」

 

ミ「俺らが話しているのは、頭のイカれたやつのことだ」

サ「そうじゃない。俺たちは日常のことを話しているんだ。お前はまだウブすぎる」

 

ミ「そうやって子供扱いするのはよせよ。考えてみろ。あんたは、問題は人々の無関心だと言う。だけど、俺からしたら、人が無関心かどうかなんて知ったこっちゃない」

サ「じゃあ、お前は世の中に対して関心があるのか?」

ミ「ああ、あるとも!」

サ「それなら、お前がこの世の中を変える」

 

ミ「ともかく、大事なことは、あんたは、世の中が無関心だから、それが嫌になって刑事をやめるんじゃない。刑事をやめるから、そう思いたいだけだ。だから、俺に同意を求めている。”こんな世の中は最悪だ。とっととやめて山奥に住もう”って。だけど、俺はそうは言わない。あんたには同意しない・・・できない」 

  

若くて、世間知らずで、無鉄砲なミルズの強い言葉。

その言葉を聞いたサマセットは、図星をつかれたように、黙ってミルズを見つめます。

 

翌日、サマセットは「引き続き捜査に残る」と伝えます。

定年のこともあり、気遣って断るミルズに対して、

もう数日だけ、お前の相方でいさせてくれ。俺からのお願いだ。

 

反発しあっていた2人が、ようやく”仲間”になった瞬間です。

 

最後のフィナーレに向けて、2人並んで胸毛を剃るシーンがあります。

(胸にピンマイクをつけるための下準備)

並んで無駄口叩いている2人の姿から、ようやく一体感が感じられる一コマ。

 

反発していた2人の、親と子のような姿に、観ていて嬉しくなりました。

サマセットと『G線上のアリア』

サマセットの心境の変化について、もう1つ。

作中で、印象的に使われているのがバッハの『G線上のアリア』です。

 

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この楽曲は、サマセットの心境に合わせて、映画の中で2回使われます。

 

1回目は、彼が図書館で調べ物をする場面。

腐敗した世の中が嫌いなサマセットにとって、図書館で古典を読むひと時は、彼に小さな安らぎを与えてくれます。

 

この時は、腐敗した世の中からの現実逃避の曲として使われます。

 

2回目は、ミルズとバーで話したあとです。

ミルズに図星を突かれたサマセットは、家に帰っても眠れません。

 

定期的なリズムを刻むメトロノームを壊し、感情的にダーツに向けてナイフを投げます。

それまで穏やかだった彼の、凶暴な一面が垣間見えます。

 

1回目は、退廃した世界から逃げるための楽曲が、

2回目は、その腐敗した世界への、戦いを挑むきっかけとしての役割を担っています。

 

腐敗した世界観とはかけ離れたこの楽曲は、サマセットの心境の変化と重なって、観た人の印象に強く残ります。

衝撃のラストについて(ネタバレ注意!)

この映画は、犯人探しの物語でありながら、途中で犯人が自首するという驚きの展開を見せます。

 

しかし、犯人はただ自首して終わりではありません

最後の仕掛けに向けた、犯人による巧妙な作戦だったのです。

 

犯人役は、おなじみケヴィン・スペイシー。

(ちなみに、あえてタイトルクレジットには名前を入れなかったそうです)

 

彼は、「憤怒」と「嫉妬」の2つの罪を残して自首します。

最後の2つの死体の場所は、ミルズとサマセットに教えると言う犯人ジョン・ドゥ。

 

彼の言葉を信じ、ジョン・ドゥを乗せた車を走らせるミルズとサマセット。

 

何もないところで、ジョン・ドゥの合図で車を止めます。

そこにやってきたトラックの運転手は、サマセットに荷物を渡します。

中身は、なんとミルズの妻トレイシーの生首でした。

(なお、実際に映像には出てきません)

 

これがジョン・ドゥの罠だと気づいたサマセット。

彼は急いでミルズに駆け寄り、銃を捨てるよう強く言います。

 

その間、ジョン・ドゥはミルズに話します。

「平凡な夫を演じたくてミルズの家に行ったが、うまくいかずに奥さんを殺してしまった」と。

 

そう、「嫉妬」の罪を犯したのは、平凡な生活に憧れていたジョン・ドゥ自身だったのです。

 

そして、「憤怒」の罪を犯すのは、妻を殺したジョン・ドゥへの怒りに燃えたミルズ。

 

純粋なアダムだったミルズは、ここで悪魔の実を食べて、

「憤怒」の罪を犯すというのがジョン・ドゥのシナリオ。

 

理性では、ジョン・ドゥを殺しても何にもならないことはわかっています。

死んだ奥さんは帰ってこないし、それこそジョン・ドゥの思惑通り。

しかし、本能では、今すぐに彼を撃ち殺したい。

苦渋の選択を迫られたミルズは、果たして・・・・

 

最後の最後の結末は伏せておきますが、

ブラッド・ピットの迫真の演技は、何度も見返したくなるほどの名演でした。

 

映画『セブン』に一言!

映画の最後は、サマセットの独白で終わります。

アーネスト・ヘミングウェイがかつて言っていた。

「この世界は素晴らしい場所で、そのために戦う価値はある」

私は、後半の部分に同意する。

 

世の中への関心を持つことをやめたサマセット。

彼は、ミルズとの出会いによって変わります。

 

誰もが無関心を通す世の中で、

ミルズの無鉄砲でまっすぐな正義感は、少なくともサマセットの心に引き継がれました。

 

「人々は英雄なんか求めていない」と言っていたサマセットですが、

ミルズが、彼の英雄になったのです。

 

自身を変えてくれた、ミルズとトレイシー。

その2人の結末を見届けた、最後のサマセットの表情は重いです。

 

 

実は、映画のラストはもう1パターンあったようです。

それは、

「サマセットが、ミルズの代わりにジョン・ドゥを撃ち殺す」というもの。

 

しかし、それではありきたりすぎるということで監督が却下し、今のエンディングが採用されたそうです。

 

 

犯人の顔が見えない中で、次々と進行する猟奇的連続殺人。

七つの大罪や、中世ヨーロッパの物語を引用した物語展開。

主人公2人の心境の変化と成長。

そして、最後の最後に、ミルズの下す決断。

 

観た人によって、受け止め方は違ってくる作品です。

見応えがあり、観終わった後に深い余韻を与えてくれます。

 

ぜひ、映画『セブン』を観てみてください!

 

また、アマゾンプライム会員であれば本作品を無料で観れるので(2019/11/7時点)、こちらもオススメです。

 

併せて読みたい!

『パーフェクト・ルーム』

『隣人は静かに笑う』