先日、『Once Upon a Time in Hollywood』という映画を観てきました。
圧倒的に面白い。
タランティーノを敬愛しているということを抜きにしても、相当楽しめる映画だったのではないかと思います。
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この映画は、実際にあったシャロン・テートの殺人事件を題材にしてます。
日本語版のwikiを見ると、
「
1.殺人事件の概要
2.出演作品
・・・・
」
となっており、シャロン・テート本人の説明よりも、殺人事件の方にフォーカスされています。
多くの人の記憶の中にも、チャールズ・マンソンに殺されたということで記憶されてしまった彼女を、タランティーノは映画の中でありありと生き返らせています。
このあたりの話は、本作について宇多丸さんとタランティーノが対談した動画がyoutubeに上がっていたので、ぜひ聞いてみてください。
宇多丸さんの目の付け所が本当に素晴らしくて、同じ映画を観ていたのに「俺は一体何を観ていたんだろうか・・・」と、落胆を通り越して感動を覚えます。
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さて。
現実の世界では、シャロン・テートはカルト集団に殺されてしまいます。
チャールズ・マンソンという1人の男が中心となって生み出した、マンソン・ファミリーによって。
この集団は、カウンターカルチャー渦中の1960年代後半から1970年代にかけて存在していました。
1945年に第二次世界大戦が終わり、世界の覇権をソ連と二分したアメリカ。
ソ連との冷戦を経ながら、確実に世界一の強大国へと向かっていきます。
そんな世界のアメリカに影が落ち始めたのが、この1960年代後半という時代。
この時期に、戦後のベビーブームで生まれた世代がちょうど成人となります。
1963年のケネディ大統領暗殺事件や、泥沼化していていくベトナム戦争、そして米ソ冷戦体制下の緊張感。
そういった社会不安と相まって、
・女性の社会進出
・ドラッグの蔓延
等様々な要因が、若者によるカウンターカルチャームーブメントを起こしていくのです。
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当時のハリウッド映画は、ヘイズコードという規則によってセックスやバイオレンスは厳しく禁じられていました。
ベトナム戦争でたくさん人が死んでいるのをテレビで目の当たりにすれば、
暴力のない「夢の世界」ばかりを描いていたハリウッド映画が、敬遠されていくのは必至の流れです。
まさに、リックがもがいていた時代のハリウッドは、存続の危機にあったのです。
そして、落ち目のハリウッドに対抗して、アメリカンニューシネマという新しい流れが登場します。
・『俺たちに明日はない』
・『明日に向かって撃て!』
・『イージー・ライダー』
・『卒業』
これらの映画では、
生々しい暴力が描かれ(特に『俺たちに明日はない』のラストで、主人公2人が蜂の巣状態に銃殺されるシーンは今観てもショッキングです)、
セックスもあり、ゲイもいて、
主人公たちは、夢を実現できずに挫折します。
まさに、かつて夢の国であったアメリカに、期待を持てなくなった若者たちのように。
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カウンターカルチャーの主人公は、この映画の中にも登場する、ああいった若者たちです。
彼らは社会に対抗するように、
仕事に就かず、
コミューンで共同生活を営み、
自由奔放にセックスをして、
ドラッグを楽しみ、
髪を伸ばし、ヒゲをはやし、
ロックを聞いて。
主人公2人とは正反対の存在。
堕ちていくハリウッドの中で、必死にもがいて生きていこうとするリックと、その相棒のクリフ。
彼らのアンチテーゼとしての、マンソン・ファミリーの若者たち。
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ここからは少しネタバレになってしまいますが。
映画の半ばくらいで、ブラッド・ピット扮するクリフが、道端で可愛い女の子を拾って家まで送っていくシーンがあります。
送り届けた先は、マンソン・ファミリーが生活するコミューン。
このシーンにくるまで、映画は驚くほど単調に進みます。
激しいアクションのイメージが強いタランティーノ映画の中で、これでもかと淡々と物語は進みます。
「つまらないなー」と思う人もいるかもなーと思っていたら、
実際、劇場では途中で席を立っている人もいました。
そんな中で、クリフがこのコミューンにやってきたシーンから、徐々に空気が変わっていきます。
言葉では明示されませんし、具体的に危険な描写もありませんが、
「この若者の集団、何かおかしい・・・」と感じます。
音楽も少しおどろおどろしくなり、一気に緊張感が張り詰めます。
事前情報ほぼなしで観ていた僕は、このとき初めて、マンソン・ファミリーとシャロン・テートの繋がりに気づきました。
そこからは、最後のクライマックスまでもう一直線。
現実世界でシャロン・テートが殺害された日に、映画の中でも事件は起こり、映画はクライマックスを迎えます。
もうここは圧巻ですね。
拍手がそこら中で起こっていたし、もう爽快すぎて僕は笑いをこらえることができませんでした。
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時代の流れに逆らえず、堕ち目を迎えつつあったリックとクリフ。
クリフへの給料支払いができないという理由で、長年の相棒関係を解消し、新しいスタートを切ろうとしたまさにその日。
若者たちが、2人を襲います。
現実を直視せず、社会から逃避し、感情のままに生きてきた若者たちが。
問題は、彼らがシャロン・テートのように、あっけなくやられるほどヤワじゃなかったということ。
彼らには、長年生きてきた人生があるのです。
生きてきた重みが違います。
2人は、これでもかというくらい、若者たちをボッコボコにします。
殺してしまっているので、倫理的に良いワケではないのですが、
せめて映画の中くらいは、思いっきり制裁を加えてもいいでしょう。
もう最後のこのシーンは快感過ぎて、全身がゾクゾクしました。
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なんでこんなに快感だったのか。
時代背景を、少し知っていたからというのもありますが、
無意識に、2人に自分自身を重ねていたのだと思います。
映画の中では、単調と思われても仕方がないくらいのレベルで、淡々とリックとクリフの苦悩と葛藤を描きます。
時代に飲まれ、自分の力だけではどうしようもない現実と向き合い、なんとか生きる道を探してもがく2人。
そして、リックは固執していたハリウッドを捨て、生きるために大嫌いだったヨーロッパ映画に挑戦しました。
また、断腸の思いで、クリフとのパートナーを解消することも決めました。
単調ではあるけれど、決して他人事として観ることはできませんでした。
なぜなら、それは僕自身も同じだから。
2人の姿は、社会の中で頑張って生きている人たちの気持ちを代弁してくれています。
その気持ちは、現実を直視せず、逃げている若者には決して分かり得ません。
そして、その若者たちはまた、「かつての自分」でもあるのです。
まだ社会を知らず、そのくせ全てを知ったような気になり、大人たちをバカにしていた昔の自分です。
映画の最後に感じた快感は、
頑張って生きている人を馬鹿にする、そんな若者をやっつけてくれる快感と、
かつて自分が内包していた、幼い自分をやっつけてくれる快感だったのです。
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映画は、観る人によって感じ方は様々ですが、
今回『Once Upon a Time in Hollywood』にやたらと感動したので、 その理由を考察してみました。
なお、文中に出てきたアメリカン・ニューシネマについては、映画評論家の町山智浩さんのこちらの本に詳しく書いてありますので、気になった方はぜひ読んでみてください。